吉田寮を取り壊したらだめ!学習会を開催しました

京都大学が4月14日に「吉田寮現棟建替え・現棟建替えにより創出される敷地の活用方針について」を公表し、吉田寮の現棟について取り壊しを前提に立て替える方針を示しました。私たち元寮生の会は、国内現存最古の学生寮の取り壊しに異議を唱えるべく、現棟の建築文化財としてのかけがえのない価値を学ぶ公開学習会「なぜ京大に吉田寮が必要か」を京大楽友会館で開催しました。

 

講師は、建築家で七灯社建築研究所主宰の山根芳洋さん。吉田寮の実測調査や第三高等学校などの史料の検討を基に、食堂が三高の寄宿舎食堂を移築したこと、現棟も再構築した建物であることを突き止め、取り壊しが前提とされていた食堂の補修と保全につなげました。

大学と寮は一体 切り離すことはできない

山根さんは冒頭、学習会タイトルの問いである「なぜ京大に吉田寮が必要か」について話されました。清風荘(重要文化財、西園寺公望の京都私邸で戦後に京大に寄贈)を除いて12施設が建築文化財(登録有形文化財)として国に登録されていますが、学生の施設は一件もないことを指摘。「大学は研究だけでなく、教育機関でもある。学生の文化を引き継ぐものも残すべきだ」と強調しました。三高や京大の発足当初から寄宿舎が建てられていたことも指摘、「大学と寮は一体のもの。切り離すことはできない」としました。

続いて、吉田寮建設(1913年竣工)の経緯を説明しました。山根さんが調査を始めた2011年当時は、吉田寮が三高寄宿舎を移築したことは知られていませんでした。「時間の経緯とともに忘れられてしまったのではないか」とのことです。山根さんは食堂取り壊しを疑問に思った京大教員から依頼を受け、吉田寮の調査を行いました。食堂の意匠が現棟と違うことに違和感を覚えながら、現棟と食堂について実測調査とともに床下や小屋裏に入って調べたところ、部材の切り欠きなどから、多くの構造材に転用材が使われていることを確認しました。部材の位置を示す墨書きと三高寄宿舎の図面から、現在の本務構内にあった三高寄宿舎の食堂を90度回転させて移築して吉田寮食堂としたことを突き止めました。三高寄宿舎は1889年竣工で、食堂は京大において現存最古の建物となります。

三高寄宿舎が息づいている

現棟についても、三高寄宿舎の図面と吉田寮の実測図の比較検討や、現存する部材から、建築物を特徴づける「建物のメイン」である階段室は3階建てだった三高寄宿舎の階段を上下二つに分けて移築、洗面所は半分に割って移築したと推定しました。居室部分の部材に記されていた墨書きからは、転用前の建物が81メートル超の長さのある長大な建物であることが示されており、それは「三高寄宿舎に他ならない」とのことです。三高寄宿舎を再構成して再構築した現棟は「三高寄宿舎が現在に息づいている」建物であり、「明治22年のトイレは日本中探してもない」とも。

移築の背景には、当時は建築部材の使い回しは当たり前だったことに加え、大学の予算が限られていたことがありそうです。三高寄宿舎の工事責任者だった山本治兵衛が吉田寮の設計に携わっており、「自分で作っているので、よく分かっている」「再構築して吉田寮としてよみがえらせた」と指摘。「吉田寮には明治の学生の痕跡があり、京大運営の歴史でもある」としました。山本治兵衛は西日本の文部省直轄学校施設工事を取り仕切り、明治30年以降から大正期にかけて京大の建物のほとんどに関わっています、奈良女子大旧本館(重要文化財)も彼による建物です。

部材としては、米松や階段のケヤキ、柱のヒノキなど、いまでは入手困難な、極めて良質な木材が使われています。今でも部材を再利用することは可能ですが、法的に現棟規模の建物を木造で新築することはできません。ただ、補修や新棟(西棟)のように一部をRC(鉄筋コンクリート)と組み合わせる耐震補強によって、現存の建物を再生することは可能とも説明されました。

山根さんは「登録されていなければ文化財ではないとの誤解があるが、吉田寮は登録していなくても文化財」とした上で、「残すだけではなだめ、ちゃんと使われないと」としました。大学が求める教育研究施設の増設について、現棟周辺の敷地への施設建設に加え、現棟の地下深くまで利用することで地上に現棟を残すことができると提案。「いろいろなアイデアを出して、大学も納得できる解決を」と求めました。

権威の象徴だけでなく 大学の主体たる学生の建物を残す

山根さんは吉田寮について「京都は学生のまち、大学のまちなどと表現することがあるが、その象徴のように吉田寮の建物は歴史と文化を内包して残っている」と書かれております。質疑応答で山根さんは「大学は、学生があって初めて大学。執行部のための大学ではない。大切なものを残さないとおかしい。権威の象徴だけではなく、(大学の主体は学生であり)大学の主体として残す」と強調されました。学習会後に、現棟がフェンスで囲まれて人が立ち入れなくなっている状況について触れ、「人が入らなくなると建物は急にだめになる」として、現棟の腐朽が進むことへの危惧も述べられていました。

学習会の意見交換では「吉田寮の将来は大学や自治会だけで決めるものではなく、専門家が入って評価し、広く市民も入って議論することが必要」「(吉田寮の価値や大切さが)市民の方に届いていない。市民の方に知っていただく努力を」など、今後の取り組みに向けた声が続きました。元寮生の会も、寮生、市民、教員、専門家とのつながりを広げ、吉田寮を守り活かす取り組みを進めていきたいと考えております。

 

京大総長と理事に申し入れを行いました

京都大学総長 湊長博殿   理事・副学長 國府寛司殿 

吉田寮現棟建替え方針の撤回と吉田寮自治会との話し合い再開を求める申し入れ

私たちは京都大学吉田寮の卒寮生でつくる「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」会員一同です。当会は、吉田寮が福利厚生と教育の場として引き継がれるとともに、現棟と食堂の文化財建造物としての重要性を伝えることを通じて、交流と文化創造の場としても活かされていくことを願い、2017年10月に設立しました。約120人の卒寮生と、オブザーバーとして市民と学生が参加して活動を続けています。

私たちは、吉田寮の現棟について、貴大学が本年4月14日付けで「吉田寮現棟建替え・現棟建替えにより創出される敷地の活用方針について」として公表した文書に対し、大きな危惧を抱いております。

吉田寮現棟と食堂は1913年に建築されました。学生寮として国内現存最古であるとともに、旧制第三高等学校の建物の一部を引き継ぐ京大最古の建造物でもあり、建築文化財としてかけがえのない価値を有しています。日本建築学会近畿支部と日本建築史学会が「保全活用に関する要望書」を2015年に相次いで提出しており、いずれも「明治初期の建築技術を知る上で貴重な資料」「建築史的に見て希少な存在であり、これを中心に置く南部構内は良質な歴史的環境を形成している」などとして「保全と適切な活用を強く希望する」としています。

京大では清風荘(重要文化財、1912年に主屋完成)をはじめとして13施設が建築文化財として国に指定・登録されていますが、吉田寮現棟と食堂は、近隣の楽友会館(1925年建築、国登録文化財)とともに歴史的環境を形成しており、後世に残すべき建築物として登録が必要と考えております。

文化財としての価値だけではありません。吉田寮では長年にわたって現在の地で学生が生活を共にしてきました。寮運営を大学との対話を重ねながら学生自らが担うことで、多くのことを学び自らの糧としてきました。学生の生活を守る福利厚生施設としてのみならず、今後も引き継ぐべき教育の場として、その存在は京大にとって大きな意味があると考えております。文化財建造物としてのみならず、学生が学び育つ場として今後も寮生が住み続けることもが大切と考えております。

京都大学が吉田寮生に対して求めた吉田寮現棟と食堂の明け渡しを求める訴訟につきまして、昨年に貴大学と被告の寮生との間で和解が成立しました。懸案となっていた耐震工事の実施と、被告の寮生の移行が和解内容として明記されたことは、吉田寮を巡る問題解決の大きな一歩になると期待しておりました。しかしながら貴大学は、吉田寮自治会との話し合いを行わないまま、一方的に「活用方針」を決定しました。大学からの責任ある説明はいまだになく、「建築物としての歴史的経緯に配慮しつつ建て替える」との文面からは、一部の意匠のみを表面的に残し、建造物としては全面的に解体する内容と受け止めざるを得ません。

私たちは京都大学に対して以下を求めます

一 「建て替え方針」を撤回し、現棟の歴史的文化財建造物としてのかけがえのない価値を踏まえ、耐震工事については現棟の価値を損なうことなく補修・改修する工事とすること

 二 吉田寮自治会との話し合いを再開し、工事計画の策定にあたって連携するとともに、建築文化財の専門家も加わった「吉田寮補修委員会」を設置するなどして学内外の意見を踏まえて検討すること

 三 工事計画検討に先立ち、吉田寮現棟と食堂棟の建築文化財登録に向けて、詳細な調査と現状確認を行うこと

 四 京都大学として吉田寮をどのように将来に活かしていくのかを表明すること

 和解を受けて当会が行った昨年9月の申し入れの繰り返しになります。京都大学は「基本理念」として「対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」と定めています。貴大学が自ら範を示し、吉田寮生との対話を通じて、大学としての矜持を示されることを切に願います。

                                                                                                             2026年6月17日

                                                                                21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会

吉田寮現棟の建築文化財としての価値を学びます

吉田寮現棟の歴史をひもとき、なぜ建築文化財として重要なのかを学び、補修・改修、未来への継承について考えたいと思います。講師の山根芳洋さん(七灯社建築研究所主宰)は、吉田寮の実測調査や学内史料の検討を基に、現棟と食堂が三高寄宿舎を移築したことを突き止め、食堂の補修と保全につなげました。現棟と三高寄宿舎のつながり、大学として寄宿舎建築を保全する意味についてお話を伺い、今後の活動について参加された皆さんと意見交換をしたいと思います。

6月20日(土)午後2時半から 京都大学・楽友会館
(京都市左京区吉田二本松町 近衛通東大路東入ル 市バス「近衛通」下車すぐ)
講師 山根芳洋さん(建築家、七灯社建築研究所主宰)
参加無料
主催・問い合わせ先 21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会(inaniwa@ymail.ne.jp)

Zoomでの参加希望の方はお知らせください

学習会案内

 

 

 

第13回連続公開学習会を開催しました

第13回連続公開学習会「〝吉田寮と京大〟学」を2026年2月22日(日)に京大時計台記念館(京都市左京区)会議室Ⅲ(Zoom併用)で開きました。

今回は、山内隆典さん(元熊野寮生、工学部卒業)が「寮から寮へ 熊野寮建設秘話」と題して、吉田寮自治会の増寮運動の成果として1965年に開寮した京大熊野寮について、さまざまな角度から見た開寮に至る当時の経過を中心に話題提供していただきました。

冒頭、山内さんは「熊野寮の建設時、当時の学生は頑張ったが大学側も頑張った」と話しました。高名な建築学者である西山夘三が熊野寮の設計に深く関わったことは知られていますが、熊野寮の建設が実現したときの京大当局の動きを知ると、総長や学生部長をはじめ、何人もの(京大当局の中で権限を持つ)関係者がそれぞれの立場で寮生・学生のことを思いながら事態に関与したことが見えてくる、と話し、多くの資料を示しながら熊野寮の建設に至る経緯を話しました。

熊野寮の所在地である東竹屋町は、平安時代には白河北殿があり、聖護院村となった中世から近世にかけては鴨川の氾濫が多かったため畑が中心になっていました。幕末期には鴨川が氾濫する頻度が下がったようで、歌人や儒者といった文人の居宅も建てられていました。明治・大正期には、この地区は工場地帯で、鐘淵紡績(現在のカネボウ)の工場が存在感を示しました。戦争中、熊野寮の位置には同社傘下の日本国際航空工業、通称ニッコク工業の軍需工場があり、このことが長く周囲の人々の間で引き継がれ、熊野寮が建てられるときにもまだ敷地は、地域の人々から、名前の由来を忘れて「ニッコク」と呼ばれていたとのことです。

熊野寮が建てられた時期(1960年代前半)は、京大の総長や学生部長にはリベラルな人が置かれていた時代で、16代平澤総長、17代奥田総長と、芦田学生部長、山岡学生部長、西尾学生部長、庄司学生部長といった面々は、吉田寮生、開寮後の熊野寮生とよく話をし、寮生から見ると大学当局にさまざまな要求事項を認めさせることができた記憶が残る時期でした。奥田総長は退任時に「寮に始まり寮に終わる」という言葉を残したということが、京都新聞の記事に残されています。

当時、「新寮闘争」として熊野寮建設を求める吉田寮生の最優先の要求事項は、京大学生寮の収容人数の大幅な増加でした。「2000人寮プラン」といった言葉も言われた時期でした。その上で、寮生は新寮の建物設計への関与も要求し、設計を担当した西山夘三研究室が要求を受け入れました。当時の定員1人あたり建物面積の制限(1人あたり14.5平方メートル)では個室の寮は設計が成り立たず、4人部屋と2人部屋から成る熊野寮の建物構造が定まりました。収容定員は、実現しなかった3期工事分を含めると約500人でした。

山内さんは、こうした経緯を紹介しながら「熊野寮はみんなで建てたのだ」「寮は大学との絆」と述べました。

熊野寮の建設に伴い、文部省令を根拠に、寄宿料の額が吉田寮(木造)の月額100円から新寮(鉄筋コンクリート造)では3倍の金額に引き上げられることになりました。当時の京大生の経済状況などから、寄宿料の3倍引き上げに寮生は強く反発し、熊野寮開寮後の熊野寮自治会の最初の寮生大会で「寄宿料不払闘争」が可決されました。京大は熊野寮の3期工事の予算化を見送りました。現在も残る熊野寮C棟建物の端部の「将来の延長用の床と梁」は、C棟に増築の計画があったことを示しています。

山内さんは、熊野寮の話の前に、京都帝国大学の時代から新制京都大学の時代に至る、京大の学生を収容する寮の全体像を語ってくださいました。参加者の多くにとって、戦前の国策で招聘した占領地からの留学生のための寄宿舎の話や、京大において初めて学生側の要求に応えて設置された寮が「女子寮(現在ある女子寮の先々代の寮)」であったことなど、山内さんが資料を元に説明する京大の寮の歴史は知見を大きく広げるもので、「寮から寮へ 熊野寮建設秘話」というテーマが持つ意味を実感しました。

山内さんが示す歴史のエピソードに対して、参加者である各時代の元吉田寮生・元熊野寮生から、自らの体験をもとにした補足のコメントも多く出され、過去の出来事でありながら、生き生きとした光景を想像できる充実した学習会となりました。

最後に、現役の吉田寮生から、夏に大阪高裁で成立した現棟食堂明渡請求訴訟の「和解」に対応して吉田寮自治会が行っている活動内容の報告がありました。

 

総会と学習会を開催しました

「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」の総会と、連続公開学習会「吉田寮と京大」学の第12回が、11月2日(日)に「こどもみらい館」(京都市)で開かれました。残念ながら総会成立に必要な数に達せずに集会となりましたが、有意義な意見交換と学習になりました。

最初に奈倉代表があいさつをしました。京大と吉田寮生との裁判が和解として決着し、現棟(木造棟)の耐震工事が具体化する状況を受け、「元寮生の会はますます必要となり、役割は大きい。忌憚のない意見交換を」と呼びかけました。

事務局より、この一年の活動について報告がありました。学習会や「京大吉田寮百年物語」の編集協力と出版、和解を受けた理事会声明と会としての申し入れ提出をしてきました。「和解によって、京大は吉田寮自治会との話し合い再開となるはずだが、そうなっていない。市民の声を京大に届ける必要がある。どのように京大に訴えるか議論したい」とまとめました。

続いて吉田寮生から大阪高裁での和解に至る経緯について報告を受けました。和解内容のポイントとして①吉田寮食堂の継続使用②現棟の補修(立て替えを含む)③補修後の被告寮生の入寮権限の維持と、原告(京大)の他の請求事項の放棄ーを挙げ、弁護団の受け止めとして「勝利和解」との評価を示しました。今後の活動について、寮内で話し合いを重ねて方向性について認識を共有し、全体で意見を一致できるよう取り組んでいるとのことです。

和解後の吉田寮自治会の取り組みとして、京大当局への対話再開の呼びかけとともに、署名活動の開始と、教員への働きかけを進めています。この間、教職員対象の吉田寮見学ツアーを行い、京大カレー部に所属する寮生がカレーをふるまうなどして、好評だったとのことです。11月祭への出展や、12月に集会を予定していることも報告されました。署名「吉田寮の自治と歴史的建築を未来へ!和解した今こそ対話の再開を!」は吉田寮自治会のホームページで呼びかけられおり、元寮生の会にも協力を求めました。

元寮生の会に対しては▽現棟を残すための取り組みと具体的な提案▽署名活動の周知▽自治会の活動支援ーが要請されました。

和解を受けて来年3月末までに現棟から引っ越しをしなければいけません。来年の入寮募集や現棟の機能の移行、現棟にある資料の取り扱いについて寮生に質問がありました。資料については、学外での保管場所の確保と費用支援も含め、会としてできることがあるかを理事会で考え、会員の皆さんに相談したいと思います。東大駒場寮のように会独自の拠点を構えて資料を引き受け、情報発信の拠点にすることも選択肢となりますが、費用面をはじめ検討が必要です。

不透明な状況である耐震工事については、「専門家を味方に」として計画策定にあたって近代建築、木造建築、建築文化財の専門家が入ることを求めることや、「(南寮など)一棟ずつ補修することで居住の継続と耐震工事を併せて進めることができる」との意見も出されました。

元寮生の会としての今後の活動について意見交換をしました。奈倉代表は「活気のある会でありたいが力不足でそうはなっていない。会員の皆さんがもっともっと21世紀に合った形で進めていただきたい」と話されました。理事会としては、半年をめどに代表の仕事を次期会長候補が引き継ぎ、来年の総会で顧問創設を含めた新体制について承認を得ることを方向性として示しました。

検討中となっている「百年物語」の出版記念を兼ねた企画を吉田寮現棟の保全をアピールする機会とすることや、立て替えではなく建物を残す工事を求めることが提案され、理事会とメーリングリストで意見を交わし、会員の皆さんに改めて提案することとしました。

続いて元理事の中尾芳治さん(考古学者、元帝塚山学院大教授)を講師に学習会「吉田寮(京大寄宿舎)を建築文化財として保存・活用する」を行いました。

自身が吉田寮に住んだ1956年から59年まで3年間の生活(当時は入学年は宇治寮)について、「寄宿舎記念祭」「三寮対抗運動会」、寮生による近隣の子どもたちへの「サマースクール」などの写真を交えて紹介されました。「経済的に恵まれなかった私が大学を無事卒業できたのは、奨学金と授業料免除、4年間を寮で過ごせたおかげであると、今も感謝の気持ちを忘れたことはない」「経済的恩恵だけでなく、吉田寮で過ごした3年間は、さまざまな学部の先輩・後輩と『一つの釜の飯を食って』生活を共にする中で、さまざまな専門分野や価値感に触れることができたことは私の人格形成に大きなプラスであったと感謝している」と話されました。

自身は「お世話になるので大切に使う。後輩のために入ったときと同じ状況に戻す」との考えで寮に暮らしていたが、近年に寄宿舎の仲間と訪ねた吉田寮現棟で廊下に生活用品があふれて雑然としていた状況を見て残念に感じたことを話し、木造棟での暮らし方の再考も求めました。

続いて京大や京都府教委、山根芳洋さんによる吉田寮の調査と、日本建築学会近畿支部や建築史学会が保存活用を求めて京大に提出した要望書を説明。「建築文化財として重要性が調査から明らかになっているが、大学が反応していない。重要性を認めて修復・活用するという姿勢がない。冷淡だ。吉田寮を残していこういう姿勢がまったくないと思わざるをえない」との懸念を示しました。

補修について、「市民と考える吉田寮再生100年プレゼン&シンポジウム」(2018年9月)で最も多くの支持を集めた、自身による再生・活用案「建築文化財吉田寮の保全と学生寮への再生」を紹介しました。北寮と南寮は現状維持したまま耐震補修し、火災に遭った中寮の一部は資料館や共有スペース、炊事場などに改修、建築文化財としての認識を持って寮生が生活するとの提案です。

京大楽友会館などが登録文化財に指定されている現況を踏まえ、吉田寮現棟と食堂も「登録文化財に指定登録して保存活用を図るべき」と強調、「動態保存して今後も学生寮として活用する」「大学・自治会の当事者だけでなく第三者を交えた『吉田寮保存・修復・活用委員会』を組織して検討する」「今後の吉田寮の保全・活用運動は、学内運動にとどめず広く市民と連帯する市民運動として拡大させていくべき」と提案しました。

「市民運動」について、自身が長年にわたって調査に携わり、保存運動にも協力してきた難波宮跡と環境整備について紹介。吉田寮についても「京都市民にも関わる問題として広げていく」ことを訴えました。工事計画の検討に第三者を加えることが「最大の課題ではないか」とし、元寮生の会としてどのように取り組むか考えてほしいとしました。吉田寮の保全について「危機感を持つ必要がある」「我々が運動を推進して勝ち取っていくしかない」「これからが正念場」と話し、参加者からは京都市が抱えるマンションなどの問題と合わせた運動を考えてほしいなどの提案がありました。

第9回総会(2025年)と学習会を開催いたします

21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会第9回総会と連続公開学習会「吉田寮と京大」学12回を11月2日(日)12時30分から京都市子育て支援総合センター「こどもみらい館」で開催いたします

総会と連続公開学習会

和解を受け 申し入れ書を提出しました

大阪高裁での和解を受け、京都大学に「吉田寮問題の解決と現棟耐震工事に向けて吉田寮生との話し合い再開を求める申し入れ」を提出しました

申し入れ文20250919

京都大学 総長  湊 長博 殿    理事・副学長  國府 寛司 殿

                       2025年9月19日

               21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会

 吉田寮問題の解決と現棟耐震工事に向けて吉田寮生との話し合い再開を求める申し入れ

私たちは、京都大学吉田寮の卒寮生でつくる「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」会員一同です。当会は、吉田寮が福利厚生と教育の場として引き継がれるとともに、現棟と食堂の文化財建造物としての重要性を伝えることを通じて、交流と文化創造の場としても活かされていくことを願い、2017年10月に設立しました。約120人の卒寮生と、オブザーバーとして市民と学生が参加して活動を続けています。

貴大学が吉田寮生に対して提訴した、吉田寮現棟と食堂の明け渡しを求める訴訟につきまして、本年8月25日に大学と被告の寮生との間で和解が成立しました。貴大学に訴訟の取り下げを申し入れてきた当会として、今回の和解を問題解決の大きな一歩として歓迎します。

吉田寮では、1913年より112年間にわたって現在の地で学生が生活を共にしてきました。寮運営を大学との対話を重ねながら学生自らが担うことで、多くのことを学び自らの糧としてきました。現在そして将来においても、学生の生活を守る福利厚生施設としてのみならず、今後も引き継ぐべき教育の場として、その存在は大きな意義があると考えております。さらにいえば、吉田寮現棟と食堂は現存最古の学生寮であるとともに、旧制第三高等学校の建物の一部を引き継ぐ京大最古の木造建造物の一つで、建築文化財としてかけがえのない価値を有しており、補修と保全は急務の課題です。

しかしながら貴大学は、長年にわたって積み重ねてきた吉田寮自治会との話し合いを打ち切り、寮生に対して2019年4月に明け渡し訴訟を起こしました。真摯な話し合いによる合意を一方的に破棄して法的手段に訴え、寮生に多大な負担を強いたことは、学生を守り育てるという大学の責任を放棄するものであり、残念でなりません。今回の和解によって訴訟のさらなる長期化が避けられたことに安堵しており、硬直していた事態の打開を期待しております。

以下、京都大学に申し入れます

一 吉田寮自治会との話し合いを再開し、大学人の英知をもって問題解決を図ること

 二 耐震工事について、建て替えを優先するのではなく、現棟の価値を損なうことなく引き継ぐ工事とすること

三 工事計画の策定にあたって、吉田寮自治会と連携するとともに、建築文化財の専門家も加わった『吉田寮補修委員会』を設置するなどして、学内外の意見を踏まえて検討すること

 四 京都大学として吉田寮をどのように将来に活かしていくのかを表明すること

  今年2月に出された京都地裁判決は、京大と吉田寮自治会との間で交わされた確約書が有効であったことを認めるものでした。今回の大阪高裁における和解も、大学と学生との話し合いによる解決が求められた結果であり、吉田寮をめぐる問題解決には大学と吉田寮自治会との話し合い再開が欠かせません。

京都大学は「基本理念」として「対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」と定めています。貴大学が自ら範を示し、吉田寮生との対話を通じて、大学としての矜持を示されることを願います。

第11回公開学習会「〝吉田寮と京大〟学」を開催しました

第11回公開学習会「〝吉田寮と京大〟学」を5月24日(土)に京大楽友会館(京都市左京区)とオンラインで開きました。

当初予定していた講師の中尾芳治さん(元寮生、考古学者)は体調の関係で辞退され、長谷川吉典さん(元寮生、京都市環境保全活動推進協会)が「図面でみる吉田寮の百年」、盛田良治さん(元寮生、近畿大学教員)が「戦前期のアジア人留学生・再考」と題して話題提供しました。いずれも近日刊行の「京大吉田寮百年物語」(小さ子社)の筆者で、本に掲載する内容を踏まえた講演です。中尾さんのお話は次回以降に考えております。

吉田寮現棟は、1889年竣工の旧制三高の学生寄宿舎の一部(食堂や階段など)を移築して1913年に作られました。京大における現存最古の建造物であるゆえんです。長谷川さんは三高当時の図面や1915年の玄関周辺の写真、中寮火災後の再建された図面、取り壊された旧西寮の図面、食堂厨房が延焼したサークル棟火災(1996年)以前の構内図などを紹介、時代をおって樹木におおわれる吉田寮を航空写真から示しました。「自由寮」と呼ばれた三高の自由闊達な寮生活から国家エリート養成のための帝大寄宿舎への移行において「学生監」が置かれた歴史を図面からひもときました。「(110年の歴史の中で)変わっていないと言えば変わっていないが、(さまざまなことが)変化している」と話しました。

盛田さんは京都帝国大学の留学生の記録や先行研究を踏まえ、吉田寮に在寮した留学生の変遷について話しました。吉田寮については1915年から留学生の記録があり、32年から40年にかけては在籍記録がないが、40年以降は「関東州・満州国」を含めて入寮が確認されているなど、侵略戦争下の大陸情勢も反映していると指摘。「戦前の留学生たちの寮生活の全体像は明らかにされているわけではないが、当時の京大や吉田寮は帝国日本の縮図であり、その影響は免れなかった。植民地エリートを育てたのみならず、故国を離れた学生たちが同胞との交流を温める場でもあった」としました。

話題提供の前後に、現寮生が現況を報告し、吉田寮への思いを話しました。

4月入寮の寮生は経済的な理由で下宿暮らしをやめ、「実は住めるらしい」と聞いた吉田寮に入りました。以前は吉田寮への関心はなかったとのことですが、住んでみて「吉田寮の文化、人への思いやりは悪くないなと思った」と話しました。食堂の運営に携わる4回生の寮生は、食堂は「木造の、他にない空間」であり、1990年代以降、大学や社会情勢を反映しながら、その折々で食堂を舞台とした交流が広がっていったことを踏まえ、「(寮と学内、学外が)どのようにつながっていけるか考えている」と話しました。「吉田寮は人を変える力を持っている」ともしました。

京都国際写真展のサテライト企画「KG+」の一つとして食堂で写真展を行った大学院の寮生は、生活や文化において抑圧されている先住民のコミュニティーと、吉田寮は通じるものがあるとし、「しんどいけれど(ここなら)何とか生きていけるという場が日本で失われようとしている」と話しました。「生活が芸術的」「みんな面白い生活をしている」のが吉田寮で、寮生は被写体として魅力的と強調しました。こたつや立て看など「記憶が積み重なっている」ものも集めて展示することで「吉田寮のいろいろな面を見ていだいた」と振り返り、今後も「東大駒場寮」とコラボする写真展などを開きたいと話しました。吉田寮では「KG+」の企画としてケニアのスラムと若者たちを被写体とした写真展も行われました。

現寮生からは、出版が予定されている「京都大学吉田寮-生きている私たちのコモンズ」の紹介もありました。「自然」「住みこなし」「建築」をテーマに寮生と卒寮生、研究者、補修に携わった大工らが寄稿した本で、出版に向けた支援を求めました。

さらに、吉田寮自治会が2024年10月から始めた「教職員ツアー」に職員も参加し信頼関係を作りつつあることや、入寮パンフが縁起物として受験生に人気であることも報告されました。経済的な理由と、吉田寮の文化への関心や共感から、保護者に吉田寮への肯定的な意識が広がっているとのことです。